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科学読み物研究家・鈴木裕也の書評で読む『失われゆく我々の内なる地図』

2023.08.03

一般向けポピュラーサイエンス読み物を読み漁り、書評を書くライター・鈴木裕也さんが選んだ、イチオシの本を紹介するコーナーです

(白揚社の書籍に挟んでいる「白揚社だよりvol.16」からの転載)

 

「地図を描けない人」は要注意?GPS頼みの日々が生む人類の危機

 

 

父のアルツハイマー病に気づいたきっかけは、毎週のように通っていたボウリング場までの道で迷ってしまったことだった。病気が進行するにつれて近所の散歩もおぼつかなくなっていく。最期は狭い家の中でトイレの場所すらもわからなくなった。なぜ認知症になると道に迷うのか、本書を読んでずっとわからないままでいた謎を解決できた。

 

ラットの研究では、脳には空間を認識するニューロンが多数あることがわかっている。場所を認識する細胞、方向を認識する細胞、移動を認識する細胞……それぞれの役割を持ったそれらのニューロンはみな、海馬の周辺に集中している。もちろん、これは人間でも同様だと考えられている。海馬の権威でもあるロンドンの神経学者は「海馬はナビゲーションにおいて基本的で不可欠な役割を果たす」と最後の論文に書いている。私の謎の答えは、アルツハイマー病で海馬が収縮してしまえば、ナビゲーション能力が失われてしまうということだったのだ。

 

さらに神経学者は、海馬は空間認知力を使って、他の複雑な記憶をまとめ上げているとも指摘している。つまり、「前回ここに来たときには敵が現れたので気をつけろ」「ここはおいしい食べ物がたくさんある」など、動物は〝空間〟と〝出来事〟をセットで認識しているというわけ。場所が把握できなくなった父が次第にあらゆる記憶を失った理由もきっとそこにあったのだろう。

 

脳科学好きの私には、これだけでも大きな収穫だったが、本書が語るのは、それだけではない。人間がどのように脳内の地図を作り、自分のいる場所や方向を知ることができるかが、さまざまな側面から描かれる。読み進めていけばわかるが、さまざまなジャンルの最新の研究成果はもちろん、初期の航空士や航海士が迷わずに目的地に到着できた秘密などを通して、人間の空間認知の驚くべき能力を知れるはずだ。

 

 

空間認知力の低下を助長するGPS濫用

 

サイエンスライターの著者は、人間はこうした空間認知の能力を旧石器時代に身に着けたと書いている。森を抜け、大草原を渡り、狩りをして食物採取する、遠くの集落の他部族と交易する……そのためには、どこにいても家に戻る道を覚えておかなければならない。さもなければ人類は死ぬしかなかった。だが近年、その能力は危機にさらされている。GPSの発達によってその能力を発揮する必要がなくなってしまったからだ。

 

都市生活もそれを加速させている。40~50年前は多くの国や都市で、子供たちは周囲を〝探検〟するかのようにうろつきまわった。しかし、統計によると最近の子供が1人で外出することを許されている距離は極端に減少している。家の中で遊ぶ子供が増え、外遊びをする子供も大幅に減った。これにより、子供がナビゲーション能力を育む機会が失われたのではないかと著者は危惧している。

 

私にも著者の危機感を共有した時間があった。東日本大震災で多くの人が帰宅難民になった時だ。群れをなして帰路を歩く人々の大半がスマホの地図アプリを見ながら大通り沿いをノロノロと歩いていた。都心の道路を把握していた私は、混雑した大通りを避け、裏道を進み、途中で行きつけの飲み屋や友人の事務所に立ち寄り片づけを手伝いつつ、最後まで混雑する大通りを使わずに帰宅できた。子供時代、自転車で1時間近くかかる隣町の釣り場まで平気で遊びに行った経験が、私をそう育ててくれたのかもしれない。

 

自分の脳で場所を把握する必要がなくなった今、人類はナビゲーション能力を失い始めているのかもしれない。本書を読めば、ふだんGPSに頼っているあなたも、時にはわざと道に迷って〝脳活〟してみるのも悪くないと思えるようになるはずだ。(鈴木裕也・科学読み物研究家)

 

 

失われゆく我々の内なる地図

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白揚社だよりVol.16

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